B.T.T.B. Back to the basic そして、透明な世界へ

資本論の価値論に関する論説 等

村上春樹は資本論の初版を読んだのか?ー『騎士団長殺し』篇

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 現在、なりゆきで、断捨離をしています。200冊程度が詰まっている本棚を捨てて、そこに別のものを置こうということにしました。


 で、結局は、本の処分をすることが必要になったのです。もちろん、その書棚に入っている本は、今後読まなければならない本ばかりなので、別のものを処分して、その空いたところに移動すれば良いわけです。


 手始めにCDとLPを処分しました。CDはその時点で500枚程度所有していたので、200枚を売却することにし、LPも100枚程度売却することにしました。LPはクラシックを中心としたものでしたが、ほとんど値がつきませんで、タダで引き取ってもらうことになりました。


 その後、本、特に展覧会に行った際に買い求めたカタログを売りにだそうとしたのですが、これがなかなか引き取ってくれないのですね。需要が限られるからだそうです(そうでしょうね。デパートの美術館なんて全国でほぼ全て閉鎖されましたし、物価高の中、絵を鑑賞して恍惚となっていたり、批判意識を高めたりしている場合ではありませんしね)。それでも、二束三文で買い取ってくれるところがありましたので、お願いして引き取ってもらいました。


 こういう経験をしたので、CDはもちろんコンピュータのiTuneにデータを移行させ、本は「自炊」することにしました。「自炊」とは、本をカッターで切り分け、その背にあるノリを数ミリの紙部分と一緒に切断する「裁断機」で裁断して、カード状にし、それを、例えばスキャンスナップなどの読み取り機で読み取り、コンピュータにPDFのデータとして保存する作業のことを言います。15年まえほどに、引っ越しを睨んで、三年かけて3000冊の本を「自炊」したこともがありました。さすがに読み取り機も途中でへたばり、買い替えることになりました。今回、久しぶりに持ち出してみたら、ゴム部分が全て劣化して使い物にならないことがわかり、また買いました。これで3台目です。裁断機の刃も買い替えています。


 カード状にするまでは、もちろんその作業につきっきりで行う訳ですが、読み取り機で読んでいる時は、それを、じーっと見つめていても仕方がないので、その間、本を読むことにしました。ですが、もちろん、そんな時に哲学書などを読んで考えることはできないので、いつか読むつもりで全巻揃えていた、村上春樹さんの『騎士団長殺し』を読み始めたのです。春樹さんの本は、この『騎士団長』まで、全て読んでいます(一部の短編はドイツ語や英語で読みました)。ただ、『ノルウェイの森』と『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』は、読んだものの、読後感が全く浮かばず、再度読む必要があると思い、とっておいています。


 『騎士団長殺し』は画家が主人公の作品なので、非常に私にとっては馴染みやすい内容で、画家というのはこのような精神作用を施しながら絵を描いているのかと思いながら読むこともでき、非常に興味深かったのですが、それ以上に、私の関心を引いたのは、そこで登場する「イデア」の有り様でした。


 マルクスの資本論初版では、抽象的・人間的労働という普遍的なものが、裁縫労働という具体的なものの姿を借りて現象しているということが述べられているのですが、『騎士団長殺し』の文庫版、第1部 下 のp.129には、まさにそれと同じ内容が書かれていたのです。ただし、抽象的・人間的労働ではなく「イデア」、現象化ではなく「形体化」になっていますし、商品の場合のように、交換過程から生じる事態ではないので、もちろん異なってはいます。しかし、抽象的なものが具体的なものの形を借りて現象しているという点では同じです。そんなことは、プラトン以来言われているではないか、と思われる方もいらっしゃるでしょうが、これが村上春樹という「流行作家」の描いた、ベストセラー作品の中で登場したことに意味があるのです。


 騎士団長の実態は騎士団長ではない。イデアである。上着を作った裁縫労働の実態は、リンネルとの価値関係の中では、裁縫労働ではなく、抽象的・人間的労働である。


 また、第2部(上) p.151 では、以下の記述が登場します。


 「イデアは他者による認識なしに存在し得ないものであり、同時に他者の認識をエネルルギーとして存在するものであるのだ」


 これは、抽象的なものは相互関係の中でしか実体化しない、という商品論の論理と同じものです。


 同書 p.254 には、

 「たとえば洋服屋の店先に並んでいる衣服が、誰に着られるか選ぶことができるかね?」


 という記述がありますが、これは、『資本論』にある「上着にとっては、それが客に着られようが、裁縫人に着られようが、どちらでもかまわない」という内容に類似しています。


 『透明な世界へ』の扉で、村上さんの小説の一節を引用させていただいたのは、偶然ではないのです。


 ということで驚きつつ、ほぼ計画通り、本の自炊を終了するのと同時に、文庫本にして全四巻を読了しました。そして、もう少しだけ、本棚のスペースを空けたいと思ったので、次に『ノルウェイの森』を読み始めてしまいました。そして、そこでは、『資本論』そのものの名が登場しているのです。


 続きは、また後日。

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