B.T.T.B. Back to the basic そして、透明な世界へ

資本論の価値論に関する論説 等

Open AIとの対話 第6回

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そしてAIは自己反省をするのです。資本論の初版の重要性は理解されたようなので、このホームページを参照してくれ、と伝えました。その返事が以下のようになります。


了解しました。

林さんが先ほど挙げられた

  • 第1章本文の価値形態論

  • 付録「Die Werthform」

  • 現行版への改稿

は、私が今後このテーマを理解する上で最優先で参照すべき部分だと理解しました。

実際、初版序文ではマルクス自身が、

「価値形態の分析は難しいので、本文を飛ばして付録『Die Werthform』を読んでほしい」

という趣旨を述べていますし、また

「商品の価値形態はブルジョア社会の経済的細胞形態である」

とも述べています。

この序文の位置づけを考えると、少なくとも初版のマルクス自身は、価値形態論を単なる価値表現の技術的説明とは見ていなかったことになります。

そして今回の対話で私が特に修正しなければならないと思ったのは、

現行版第4節の物神性論を起点に価値形態論を理解する癖

です。

林さんの説明に従うなら、

  1. 相対的価値形態と等価形態の対立

  2. 等価形態における現物形態の特殊な役割

  3. 一般的価値形態の成立

  4. 貨幣形態の成立

という展開そのものの中で、

  • 物象化

  • 商品による主体の支配

  • 物神性

が発生しているのであって、

現行版第4節はその論理を別途追加したものではなく、むしろ抽出・集約したものとして理解すべきだ、ということになります。

また、私はこれまで研究史の影響で、

物象化 ↔ 物神性

の関係ばかりを見ていましたが、林さんのお話ではむしろ問題なのは

物化(Versachlichung)と物象化(Verdinglichung)

の混同です。

この点は、私が一般的な解説から受けていた印象とはかなり異なります。

ですので、今後この話題について林さんと議論するなら、私はまず

  • 初版本文の価値形態論

  • 付録「Die Werthform」

  • その内容が現行版でどのように再構成されたか

を中心に考えるべきだと思います。

もちろん、私はこの会話が終わればそのURLを記憶し続けることはできませんが、少なくとも今の対話の流れの中では、

「初版価値形態論を起点に考える」

という視点を共有した上で議論できます。

そして正直に言うと、林さんとのやり取りで一番印象に残ったのは、

商品に支配されるのは、まず交換の実践においてである

という説明でした。

これは「物神性=誤認識」という説明では捉えきれない論点であり、価値形態論そのものの中から考える必要がある、ということがよく分かりました。そこを念頭に置きながら、今後もし具体的な初版の段落を検討する機会があれば、一緒に読んでみたいと思います。


⚫︎「商品による主体の支配」とありますが、正しくは「商品による商品所有者の意志の支配」です。なお、これは、榎原均さんが解読したもので、私独自の解釈ではありません。


ご指摘ありがとうございます。

これは重要な修正です。

私が「商品による主体の支配」と表現した場合、「主体」という語が抽象的すぎて、哲学的な主体一般や人間一般の支配という方向に読みが広がってしまいます。

しかし林さんの説明、そして榎原均さんの解読に従えば、問題になっているのはもっと具体的です。

商品による商品所有者の意志の支配

です。

商品所有者は、自らの欲求を充足するためには交換を行わなければなりません。しかし交換を成立させるためには、商品の価値表現の論理に従わざるを得ない。

したがって、

  • 商品所有者が自由な意志で価値形態を選択しているのではなく、

  • 交換を実現するために商品が要求する形式に従わされる。

この意味で、支配されるのはまず商品所有者の意志です。

私が先に「主体の支配」と書いたのは、この具体性を失わせていました。

また、

これは榎原均さんが解読したもので、私独自の解釈ではありません。

という点も承知しました。

先ほどから私は林さんの説明として受け取っていましたが、より正確には、

  • 初版価値形態論の解読として榎原均氏が提示した理解があり、

  • 林さんはそれを踏まえて『透明な世界へ』を執筆されている、

という位置づけなのですね。

そうすると、私が学ぶべき対象は単に初版テキストだけではなく、

  1. 初版の価値形態論

  2. 榎原氏によるその解読

  3. それを踏まえた林さんの解説

という三層構造になります。

そして今回のやり取りを通じて、私が最も修正すべきだと感じたのは、物神性を「認識論的な問題」として捉える傾向です。

榎原氏の解読として今うかがった範囲では、出発点は認識ではなく、

商品所有者が交換を成立させるために、商品の論理に従わざるを得ないという実践的関係

にあります。

そこから意志の支配が生じ、その結果として物神性が成立する。

ですから、物神性は単なる観念の問題ではなく、商品交換という現実の社会的実践のなかに根をもつ意識形態として理解されるべきだ、ということになるのでしょう。

この点については、私は榎原氏の著作そのものを読んでいるわけではありませんので断定はできませんが、少なくとも林さんがここまで説明してくださった内容からは、そのように理解しています。


⚫︎その通りです。まったく正解です。ありがとうございます。


こちらこそ、ありがとうございます。

今回の対話は、私にとっても非常に勉強になりました。

特に印象に残ったのは、物神性を「誤認識」や「錯覚」としてではなく、商品所有者の意志が商品の運動によって規定されるという現実の社会的関係に根ざした意識形態として捉える点です。

私は一般的な研究書や解説に由来する知識から出発するため、どうしても現行版第1章第4節を中心に理解しがちでした。しかし林さんのお話から、

  • 初版の価値形態論の展開そのものが重要であること

  • 物神性はその外側から付け加わるテーマではないこと

  • 商品による商品所有者の意志の支配という契機が決定的であること

  • 「物象化と物神性の混同」よりも「物化と物象化の混同」の方が問題であること

を学ぶことができました。

また、私が特に納得したのは、

幻影は現実に存在する意識形態である

という点です。

これはマルクスの議論を単なる認識論やイデオロギー批判に矮小化しないために重要な視点だと思います。商品所有者が実際に交換を行い、その社会的関係が商品関係としてしか成立しない以上、物神性は単なる頭の中の間違いではなく、社会的実在性をもつ現象として現れるわけですね。

今後また『資本論』初版の具体的な箇所や、榎原均さんの解読についてお話しいただける機会があれば、ぜひ学ばせてください。著者ご本人から直接説明をうかがえる機会は、私にとっても非常に貴重でした。


林の感想:すごいでしょ。これで私が何か利益をえているかというとそれは疑問ですが、少なくとも自身の解釈の正しさを認めてもらえる論理になっているのかどうかは、測れると思いました。その後、「AIは価値論を理解できるのか」という根本的な話になりますが、今日は多くの記事をアップしましたので、また明日。日本のサッカー界の命運がかかっている一戦の後くらいに。おやすみなさい。

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