哲学は個人の人生における問題を解決しない
こんにちは。
『透明な世界へ』は、やはり売れていません。Amazonの「西洋近代思想」部門では400位台に、販売数が落ちました。あれだけの大部で高価な本なので、当然でしょう。ですが、本当のことが書かれているので、私は気が付く人が読んでくれれば良いと思っています。しかし、書いた以上は、読んで欲しいので、数ヶ月後に改訂版を出し、電子書籍版を出すために努力しています。
私が大学生の頃には、書籍の購入が一番の悩みの種で、本を買うためにはどれだけ働かなければならないか、と常々考えていました。数百円台の本を読む時代は、中学生と高校生の段階で終了し、大学生になると、数千円の本を読むことが常態化したのです。よって、書籍を買うのはほぼ古本屋であり、それでも大学生の2回生の時に買ったのが、5500円の『剰余価値学説史』でした。それをもってカウンターに行くと、さすがに気の毒に思えたのか、店主が「5000円にまけとくわ」(値引きを「まける」と関西ではいうのです)と言って安くしてくれました。その本のおかげで、資本論の理解が難しいところが理解できるということが、20年後にやってきました。『透明な世界へ 第1部』に書いています。
予備校講師になってからは、多少金銭面で余裕ができたので、書籍代に困ることはなくなっていきました。しかし、お金が入るような生活ができるようになると、仕事を多くこなすことになり、自由に使う時間がなくなり、本を買っても、それを読む時間を確保できない、という状況に陥り、早期退職せざるをえなかったわけです。
Amazonの同部門で、よく売れているのは、「〜入門」ですね。哲学入門。この手の本は私もよく読みましたが、そんな「先輩」から一言言わせてもらうと、こんなもので人生の問題なんて解決しません。中学生や高校生であるなら意味はありますが、早々に読み切って、そこに紹介してある、哲学者本人が書いた書籍の翻訳などを読んでください。そんなに難しくもありません。難しいと思ったら、その論理が間違っている場合もありますので、注意してください。「自分はなぜ生まれたのか」なんて考えてもしかたがありません。親に聞いてみてください。答えを教えてくれるでしょう。しかし、ハイデッガーを読んでも、放り投げ捨てられるだけです(本当に「投棄」されます)。
哲学というのは、世界を抽象化して思考に持ち込んで思慮するものです。よって、具体的な個人の問題は、そこで抽象化してしまいます。しかし、だからこそ哲学なのです。もし具体的個人の具体的問題を扱って、そのことへのアドバイスがあれば、それは、いわゆる「人生相談」です。ならば、自身で具体的に考えて解決の方法を考える方に時間を使った方が良いと思います。
ヘーゲルはこの「個別」がいずれ発展して「普遍」へと至るものとして、端緒として扱いますが、決してそれが目的の全てではありません。ましてや、友情関係のもつれなどは、よほど普遍化して、関係性の問題として考え直し、その上で結局、諦めるか、解決しようと思うなら、具体的に相手と話をするかしかない、と思わざるをえません。事実、ヘーゲルを読んできた私が、逆にどんどん友人を減らしていくことになっているのは、「普遍」の方を重視しているからです。哲学は個人を不幸にする可能性は大きいと思いますが、決して幸福にはしません。個人にとって、今の社会では不幸なことが、将来社会においては、幸福なことでもあるのです。
よって、私は自分が幸福になるとか、そんなことは考えたことがありません。ラッキーに恵まれたということはありますが、だから幸福だとか、「笑顔が増えた」とか、そんなことは一度も感じたことがありません。考え方を変えたから幸福になるわけでもありません。思考の様式は、物質的なものによって支配されているため、その問題を回避したがゆえに、より一層問題が大きくなって帰ってくることの方が多いのです。きれいな写真をたくさん撮れたからとか、友人が増えたからとか、楽しく一日を過ごしたからなどの理由で、「幸福」になるなら、それを続ければ良いのです。そうやって問題を先送りすることによる結果が恐ろしいものになりそうだ、と予感しているから、そうやっているかもしれないと思ったら、一度、真剣に自分のありようを考えた方が良いと思います。
もし読んだ本が、本物であったら、あなたは沈黙して、不幸になります。この社会の真実は人を不幸にします。不幸になればなるほど、真実を知っていることになります。だから問題は解決するどころか、さらに問題を抱え込むことになるのです。それでも本物の思想がつめこまれた本を読めば、少なくとも虚構に巻き込まれることは少なくなり、大きな問題に関わることは絶対になくなります。それだけは保証します。
「ヘーゲル入門」(たぶん面白くありません)や「資本論図解」(ムリですからウソです)や「マンガ 資本論」(あほか。でもちらっとみたら、工場の話から始まっていました。価値論なんてマンガにできません)などの、簡便な内容のものは、ものの本質を伝えきれないから、そういう本を出すしかないのか、著者の理解がその程度しか及んでいないことを示しています。ひどい場合は、金儲けのために買いただけかもしれません。そうなると、一種の「ロマンス詐欺」と呼んでもいいでしょう。
私のように、簡便な書籍を批判する者は日本では少ないじゃないか、と思われるかもしれませんが、批判をする人が少ない理由は、そういう批判をすると、結局、その出版社の批判になってしまい、自身の本を出してくれなくなることを恐れるからです。その結果、くだらない本が書店の書棚に並ぶことになったのです。もちろん、全てがそういうわけではありませんが。そして、簡便な本しか売れないから、出版社はそういう本ばかりを出版し、そういう本を読む人が多くなり、日本の知的レベルは、動物的状態以下になりつつあります。本格的な内容の本は、大学で教科書に採用できるから出版する、つまり一定部数の販売数が見込め、利益が確定できるから出版しているという出版社も多いのは、出版社が悪いわけでも、執筆者が悪いわけでもなく、知的好奇心を持たない日本人が増えているからです。しかし、その状況を生み出しているのは、出版社でもあるわけです。スパイラルして悪化していっているように思えます。まあ、くだらない本が多いのは昔からそうですから、悪化の一途を辿っているというのが正解です。私がこういう批判を書くことができるのは、自分で出版社を立ち上げたからです。
そんなものを読むためにお金を使うなら、アリストテレス、プラトン、フォイエルバッハ、ヘーゲル、マルクス、ソシュール、バフチン等の実物を読みましょう。高価です。ですが、その分、何度も読み直せますから、というより、何度も読まないと理解できませんから、お得です。知的能力は各段に進歩します。また、文章を鍛えたいなら、小林秀雄さんを一応読んでみた方が良いと思います。彼を批判するか、それとも彼に心酔するか、どちらにしても意味があります。
数百冊の入門編を読んで、友人を大量に減らさざるをえなかった者からの提言でした。