B.T.T.B. Back to the basic そして、透明な世界へ

資本論の価値論に関する論説 等

なぜ断捨離を行うのか その2

b-t-t-b

前回の記事で、断捨離の理由を以下のように書きました。


「「必然的か必然的でないか」ということが、その物が存在しても良いかどうかを決める基準なのだと思います。私は、感覚的な断捨離ではなく、理性的な断捨離の方が持続性もあり、納得できるものだと考えます。」


では、理性的に必然的に、ある物が家に存在すべきかどうか、何を理由に判断するのか、というのが、次の問題になります。


これは、ずばり「今後の生き方に関わるかどうか」しかないと思います。それをなんとなく感じ取って「ときめく」と言えば、それが基準になると思います。過去の自分としか関係がないだろうと判断したら、ときめかないでしょう。音楽で言えば、若い時には、カラオケで歌おうなどと思って聴くことができる曲でも、その機会がなくなれば、もう聴く気がしない、という曲もある、ということです。


今回ジャズ系のCDをたくさん売りに出すことにしたのは、マイルス・デイビズを中心としてジャズに傾倒する時期が数年あって、そのころは、とにかくジャズを知らなければならいと思ってCDを買いまくっていました。発端は、菊池成孔氏の東京大学での授業を文字起こしした本を読んだことからです。フリージャズまで聞きました。しかし、やっぱり今でも聞きたいと思うのは、ビル・エバンズで、その中でも Alone という、昔、おじさんがくれたLPなのです。火葬してもらう際に、一緒に棺桶に入れて欲しいほど好きです。ただ、カーペンターズの Holizon も一緒に入れて欲しい。これもおじさんが買ってくれたのです。注文は私がしたのですが。後は、Steely Danの Aja かな。正直言うと、この3枚のLPがあれば、私は音楽に関しては満足して生きていけると思います。ただ、クラシックのピアニストであるポリーニが言う通り、クラシックの方がロックなどより多様性があって面白い、という意見には賛成します。ですから、バッハやモーツァルトやベートーベン、ワーグナー、ドヴュッシー等々は必要で、今後も聴きたいと思っています。何度も何度も。


ですが、アイドルの歌っていた曲でも大好きな曲はたくさんあります。80年代は、ニューミュージックという範疇に属している、アーティストがアイドルのサポートをしていたのです。細野晴臣や松任谷由美や大瀧詠一らが曲を提供していた、松田聖子のLPは最後のLP以外全て持っていましたし(今は7枚までに絞りました)、SMAPは、高橋幸宏さんもカバーしたくらい、良い曲を歌っていて、CDを数枚買っていました。岡田有希子も、坂本龍一作曲、松田聖子作詞の「くちびるNetwork」という名曲を歌っていましたので、今でも「ヴィーナス誕生」というLPは持っています。


また、もちろん、海外のロック、日本のロックでも、今後も聞きたいと思うものは、現物で残しています。これらは、私が週に1〜2度、夕食当番の後で、お酒を飲みながら聞きたい曲なのです。もちろん、沢田研二も入っています。それを楽しむ時間は1時間から2時間なので、まあ、許してください。私にも、あの曲を聴いていた頃はこんなことがあったなあ、と思い出し、喜んだり、悲しんだり、腹がたったりすることを楽しむ時間があるのです。これが恒例となっているので、私にとっては「必然」的に存在してほしい音源となっているのです。


ですから、そういう場面でも聴きたいと思いつかない音楽を処分することにしたのです。


今後、そういうものが増えてくるでしょう。かつては著作集まで買っていた村上龍さんの本は、現物として残しているのは、4冊です。この20年で、数十冊から4冊になってしまいました。最近、著作の中に出てくる名言を、龍さん自らまとめた『世紀末を一人歩きするために』を読み返しました。素晴らしい名言ばかりですが、若い頃にはびんびん伝わってくる感じは無くなっていました。でも、本当に素敵な言葉が散りばめられています。これは捨てられない。この頃の、個人が力を持つことが必要だという発想も、今後の社会形成にとって不要なものではない、と改めて思いました。


ずるずる残しておかないで、自分を考え直す意味で、物に向き合ってみたらどうでしょうか、という提案です。

×

非ログインユーザーとして返信する