B.T.T.B. Back to the basic そして、透明な世界へ

資本論の価値論に関する論説 等

なぜ、翻訳本『透明な世界へ』に詳細な解説がついているか

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 通常の翻訳本には解説はあまり付いていません。付いていても、著者の紹介や、内容の概要程度です。

 

 ところが中にはそれとは異なる本もあるのです。今回、榎原さんと同じく、解説で論説をいくつか引用させていただいた、ヘーゲル研究家であると同時に、ドイツ語の研究家(というより、ドイツ語の研究家であった関口存男ーせきぐちつぎおー氏の研究家)の牧野紀之氏の、資本論価値論の翻訳本である『対訳・初版資本論 第1章及び附録』(信山社)は、訳者である牧野氏が、翻訳してどう感じたかを、多くの注で語っています。どこで悩んだかとか、こちらの訳もいいだろうとか、こういう訳をしていたらわかっていない証拠だ、とか、まあ「うるさい」んですよね。


 でも、本当は、翻訳を読んだ人ってのは、その訳者がどう感じたのか、どう苦労したのか、どう楽しんだのか、どうしてこの本を訳そうと思ったのかなどを知りたいと思いませんか?私は、この訳本を読みはじめ、初めから注の方が面白くなってきて、はやく注が付けられている文がこないかな、と楽しみにするようになっていました。この本の中で、感心した内容の注は、私の『透明な世界へ』でも、いくつか引用させてもらい、解説の手助けをしてもらっています。


 実は、私は牧野先生の弟子でした(牧野氏との関係性を語る場合は、牧野氏を「先生」と呼ぶことを覚書として交わしました)。ヘーゲルについて教えてもらおうと思ったからですが、残念ながら、その機会はほとんどありませんでした。先生は目を患っていたのですが、それが悪化する前に、ご自身が信山社から出している、資本論の翻訳本が高額なので(税込6180円です。それと比べれば、私の本の方が、初版のより多くの部分を訳出しており、なおかつ、安い ^ ^)、一緒に改訳して、ODPにしようと提案があったのです(それについては、先生から送っていただいた直筆の手紙がありますので、それが証拠になります)。それで先生の訳を検討していたのですが、その前に出してほしいと依頼されていた本の出版に関して、私と先生の意見が異なり、師弟関係は解消しました。ただ、そのお声がけが、私が資本論の価値論を翻訳しようと決定したきっかけであったことに間違いはありません。


 もちろん、私は牧野氏のヘーゲルやマルクスに関する言説の大部分が正しいと思っておりますし、その点は十分に尊重しています。ただ、師弟関係を解消してから、せっかくだから、資本論を理解するために、自分一人で勉強しながら訳してみようと思うと、不思議なことに、ひどく客観的になって信山社の翻訳を検討することができました。すると、惜しいかな、たった一つなのですが、価値形態を理解する上で肝心要のところで間違いが見つかりました。しかも残念ながら、それが何度も繰り返されているために、ともすると唯物論ではなくなってしまいかねないものでした。以上からご推察の通り、私の本で、牧野氏の翻訳を一文そのまま使用している箇所はなくなりなりました(もちろん他の本からも、です)。


 ただ、『透明な世界へ』の解説スタイルは、牧野氏の、この信山社の本がなければ生まれませんでした。私の本の形式は、牧野氏が書いた注を、解説の本文に格上げしたスタイルのものと言えます。そして私は、翻訳者は、たとえその翻訳本の中でなくても、どこかで、原文や訳出上の問題点や、自身が困難を極めた箇所や、別訳の可能性などを伝える文章を発表するべきだと思います。文学書などは、そこまでの必要はないでしょうが、学問書に関しては必須であると思います。それによって、その後ポイントを明確にした議論が喚起されることになると思います。


 私の本も、どうか批判対象にしてください。そして、ご意見をこのブログにおよせください。実りある議論をしていきましょう。

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